※ディオクレティアヌス帝は、284年にローマ皇帝になり、
303年にはキリスト教弾圧の勅令を出して、多くのキリスト教徒を迫害した人。
305年に自らの意思で退位して、この宮殿で余生を過ごした。
ローマ帝国衰退に伴って廃墟となっていたところに、7世紀に北方の都市から人々が移ってきて、この宮殿に住み着いた。
(おススメ度★)
◆==========================================================◆全体図の模型が外にある
海から見た宮殿
青銅の門(宮殿南側)
ここから入る
地下
建物のハリとして使われていた木材
ディオクレティアヌス帝の胸像
大聖堂(ディオクレティアヌス帝の霊廟として使われていたものが大聖堂に造り変わった)
前庭(皇帝の私邸部分の玄関口)
ペリスティル(中庭。宮殿の中心に位置する)
皇帝がここにいる聴衆に向けて演説したという
皇帝が演説した演台
小路(今も人が左右に住んでいる)
金の門(宮殿の北川)
銀の門(宮殿の西側)
(2017年9月時点)
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