時の皇帝イヴァン4世が、モンゴルのカザン・ハーン国を併合した勝利を神に感謝するために建てた。最初は木造だったけれど、石造での再建を命じ、着工から5年後の1560年に完成。
敬虔なロシア正教徒である一方、「雷帝」と呼ばれる残虐な性格であった皇帝は、これほど美しい聖堂を二度と造れないようにするため、建築家ポストニクの目を潰してしまったという。
(おススメ度★、クレムリンと赤の広場として世界遺産登録)
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外観
内部
(「週刊世界遺産」から)
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