2016年3月21日月曜日

ヨルダン>ペトラ2(朝日に輝くバラ色の都市)

ペトラの岩は砂岩。だから掘りやすかったと言われる。岩は青・赤・ピンク・茶などの縞模様があると言われるけれど、遠目からは茶。朝日を浴びると(朝の9時前まで)ピンク色(現地ではバラ色という)に見える。見学に行くなら朝一でないと美しい色には出会えない。

900k㎡に700の遺跡が点在しているそう。
ナバタイ人の文明→ギリシア文明→ローマ文明→エジプトやペルシア文明の影響をうけつつ混ざっていったので、どの建造物がどの文明の影響をうけたかを見ながら歩くのも面白い。

(おススメ度★★★、世界遺産)

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岩の裂け目を進むと、バラ色の遺跡の一部が見えてくる。

カズネ・ファルウン(最初に見える建造物。最も有名。用途は分かっていないらしい)
 
 
大きすぎて全体像はなかなか取れない。
右上の岩山に登って取ったのが以下。
 
下から撮るとこんな感じ

ローマ円形劇場(紀元1世紀頃。6千人収容)

お墓
 

途中、こんな険しい道もあるきつつ。。。



 
 
エッ・デイルの葬祭殿(ペトラ最大の建造物)

 
現地の様子
 
◆旅行術
岩の裂け目の入口から最初の遺跡、カズネ・ファルウンまでの道は、ラクダに乗って向かうことも可能。値段がラクダ使いのおじさんによって異なるのと、ボルので交渉はしっかりと!
 
 
 
(1995年10月と1996年12月時点)

2016年3月19日土曜日

ヨルダン>ペトラ1(謎に包まれたナバタイ王国の都)

ヨルダンの中南部、岩山に囲まれたところにある。
ペトラとは、ギリシア語の「岩山」。岩山の間の細い道を歩いていくと、突然岩山を削って作られた建造物を有する、バラ色に輝く都市ペトラがあった。

紀元前2世紀頃、砂漠の遊牧民だったナバタイ人が、シルクロードにつながる隊商のルートの要衝であるここに王国の首都を建国。
交易で繁盛し、最盛期には人口4万人近くにもなったが、紀元106年頃にローマ帝国に併合され、その後隊商のルートが陸上から紅海を経由する海上貿易に移っていったことでペトラは衰退。4世紀に放棄されたこの都市が発見されたのは、19世紀初頭とのこと。そのため、発掘調査はまだ遺跡全体の10%にも満たないらしい。

ハリウッド映画「インディジョーンズ最後の聖戦?」で、聖杯の隠し場所として登場するロケ地がここ。

(おススメ度★★★、世界遺産)

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アンマンから車で3時間弱。途中の道


遺跡までの岩山の道を上から眺めたところ
 

入口(この間を約5km歩いていく)

岩の裂け目。このくらいの幅は一番広い箇所。


細くなった道を進むと、突然前にバラ色の遺跡が見えてくる!
 
岩山を抜けて振り返って撮るとこんな感じ
 

 遺跡に入場券(20ヨルダンディナール)

(1995年10月と1996年12月時点)

2016年3月17日木曜日

イスラエル>エルサレム>岩のドーム(聖なる岩を覆う建物)

エルサレムの写真には必ず写っている金色に輝くドームが、現存する最古のイスラム建築。
ウマイヤ朝第5代カリフによって聖なる岩を覆うために建てられた。イスラム教の聖地。

聖なる岩とは。。。
・イスラエルの始祖アブラハムが、子のイサクを神への生け贄として捧げようとした岩。
・ソロモン王とヘロデ王が神殿を建てた場所。
・イスラム教のムハンマド(開祖というべきか予言者というべきか。。。)が、アラーの啓示をうける際にガブリエルに導かれて着地した場所。
だそう。
岩の大きさは、最大の大きさで縦横13m×17mの大きな一枚岩。

691年に完成した後、何度か改修されたけれど基本的な姿は当時のままらしい。
大理石の円柱やアラベスク模様等、装飾がとても美しい。今は礼拝場所にもなっている。

(おススメ度★★、エルサレムの旧市街とその城壁として世界遺産登録)

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外観
 
肌を覆う緑のマントを貸してくれた
 
綺麗な装飾。内部も綺麗だったけれど撮影禁止。。。
(1995年10月時点)

2016年3月15日火曜日

イスラエル>エルサレム>聖墳墓記念聖堂(イエス・キリスト磔刑の地)

イエスが十字架にかけられ、亡くなった場所に建てられたのが、聖墳墓記念聖堂。キリスト教の聖地で、信者が世界中から集まってくる。

335年、ローマ皇帝でキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝によって建立。
614年、ササン朝ペルシャ軍の放火で一部焼失。
996年、ファーティマ朝カリフによって破壊され、ドームだけ再建。
1099年、十字軍によって再建され、増改築を重ねて19世紀初頭に現在の形に。

見どころは3つ。
・大きいドームの墓所(復活聖堂)
・小さいドームのあるゴルゴダの丘(殉教聖堂)
・地下にある聖ヘレナ礼拝堂(コンスタンティヌス帝の母で墓の発見者を祀るもの)

なお、イエスが自らが磔にされる十字架を背負って歩いたゴルゴダの丘までの道、約1kmは、「ヴィア・ドロローサ(受難の道)」と呼ばれている。

(おススメ度★★、エルサレムの旧市街とその城壁として世界遺産登録)

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入口

内部

 ヴィア・ドロローサ(受難の道)・・・商店が並んでいる

(1995年10月時点)

2016年3月13日日曜日

イスラエル>エルサレム>嘆きの壁(壁しかないけど単なる壁ではない)

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がそれぞれ聖地とするエルサレムは、4000年近い歴史がある。
まずはユダヤ教の聖地から。

嘆きの壁は、かつてのイスラエル王国の首都であったエルサレムの北側に建っていた「神殿の丘」が破壊された後に残った壁。
その神殿も、紀元前965年頃にソロモン王によって建てられた最初の神殿ではなく、紀元前20年頃にヘロデ王によって大改築された神殿だという。それが、紀元70年にローマ軍によって破壊されて、神殿を囲んでいた西の壁が残った。

この神殿の破壊と同時にユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りを禁じられ、以後2000年近く世界中に離散していた。ユダヤ教徒はこの壁に祖国の喪失を嘆き、祖国復興を祈ったので、「嘆きの壁」と呼ばれるようになった。

行ってみると、ただ壁だった。。。
ただ、多くのユダヤ教徒が何かつぶやきながら壁に頭をこすりつけている姿を見ると、観光気分で壁に近寄ることは不敬なように感じたので、写真も遠目で撮影。

(おススメ度★★、エルサレムの旧市街とその城壁として世界遺産登録)

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(壁の向こうに見えるのが岩のドーム)
(1995年10月時点)

2016年2月18日木曜日

チェコ>プラハの街並み

旧共産圏であったためか、昔の街並みがとてもよく残っている。
コンパクトなので歩いて観光できる範囲。じっくり見ても2~3日で充分。

(おススメ度★★)

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オレンジの屋根が連なっている。写真にある川がヴルタヴァ川。



 

■ヴルタヴァ川東側
旧市街地広場

広場裏側

国民劇場
 
 
その他(変わったビル)

■カレル橋とその周辺



 

 


■ヴルタヴァ川西側

プラハ城



プラハ城周辺