2015年12月27日日曜日

ルフトハンザ航空の様子

2015年10月のイタリア旅行に、ルフトハンザ航空で行った時の様子。

復路のエアバス340-600は、トイレが機内地下(?)に6つ集中して設置してあり効率的。
でも、座席が背の高い人仕様のためか、頭を置く位置がヘッドレストと合わず(高い場所からより高い場所にしか固定できない)、ずっと落ち着かなかった。

全般的に食事は。。。機内だからこんな感じかと。可もなく不可もなし。

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羽田発フランクフルト行
(HND/FRA 15:20/19:15 LH-0717)
 
昼食

軽食

夕食

フランクフルト発ローマ行
(FRA/FCO 21:45/23:35 LH-0242)
  スナックのみ

ミラノ発ミュンヘン行
(MXP/MUC 13:30/14:40 LH-1857)
  スナックのみ
 
ミュンヘン発羽田行
(MUC/HND 15:25/11:00(+1) LH-0714)


夕食

朝食

座席の奥行

背もたれのヘッドレストが、高い位置でしか動かず休めない。
背の高いドイツ人仕様に違いない。


 (2015年11月時点)

2015年12月19日土曜日

イタリア>ヴェネツィアの街並み(アドリア海の女王)

イタリア最北端のヴェネト州東にあるヴェネツィア。
東方から侵入した蛮族に追われたヴェネト地方の住民が、アドリア海の潟(ラグーナ)に逃げてきて、湿地に杭をうって街を築いた。500年前の景観がいまだ保たれている。

サンタ・ルチア駅までは電車や車で行くことができるが、その先の移動は水上バスかゴンドラか、あるいは徒歩になる。

(周辺の小島とともに世界遺産登録されている。おススメ度★★★)

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2015年12月17日木曜日

イタリア>ヴェネツィア>リアルト橋(水上からの眺めが最高)

ヴェネツィアのほぼ中心、大運河にかかるリアルト橋。
この橋の周辺は、海抜が高く洪水の被害が少なく集落が早くにできたので、ヴェネツィア発祥の地ともいえるらしい。

木造だった初期の橋は12世紀頃に建造。現在の石造りの橋は、1591年に再建された太鼓橋。
橋の上やたもとにお店やカフェが多数並び、いつでも賑わっている。
長さ48m、幅22m、水面からの高さは約8m。

(おススメ度★、ヴェネツィアとその潟として世界遺産登録)

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絵葉書から

2015年12月15日火曜日

イタリア>ヴェネツィア>サン・マルコ大聖堂の鐘楼(潟を一望)

サン・マルコ大聖堂の手前にそびえる鐘楼は、大聖堂と対照的にシンプルな外観。
1912年に再建されたベージュに見える赤いレンガ造り。高さは約100m。
エレベーターで屋上までのぼれる。高いところ大好きな西欧人の行列がいつも並んでいる。

(おススメ度★★、ヴェネツィアとその潟として世界遺産登録)

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外観(2015年10月の晴れた日)
 
 
屋上からの眺め(2000年2月の曇天の日。。。)


 
 

2015年12月13日日曜日

イタリア>ヴェネツィア>サン・マルコ大聖堂2(黄金色の大聖堂)

サン・マルコ大聖堂は、内部がほぼ同じ距離の十字架の形をしているギリシア十字。
そこに、聖具室や礼拝堂などが付け加えられ、東方交易や十字軍でいった先での略奪品等があちこちに飾られている。

(おススメ度★★★、ヴェネツィアとその潟として世界遺産登録)

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内部(絵葉書から)
 


 
(2000年2月時点)

2015年12月12日土曜日

イタリア>ヴェネツィア>サン・マルコ大聖堂1(美しいビザンティン様式の聖堂)

新約聖書「マルコによる福音書」の、あの聖マルコの遺骸が眠るサン・マルコ大聖堂。
遺骸がヴェネツィアに運ばれた828年に創建された。5つのドームと聖人や天使の像が立つ尖塔など現在目にするビザンティン様式の聖堂は、1063年に改築が始まり、約400年後に完成した。

内部も金色のタイルやモザイクで埋め尽くされ、建物の重みによってこの聖堂はヴェネツィアで最も杭が沈んでしまっているエリアとのこと。

(おススメ度★★★、ヴェネツィアとその潟として世界遺産登録)

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外観
 残念ながら右側が修復中。。。
 
金の羽をつけた獅子像
 
第4回十字軍の戦利品であるブロンズの馬(4頭)の複製
 
 尖塔など
 

聖マルコの遺骸を隠して運ぶ様子が描かれたモザイク

昔撮ったもの
 

◆ヴェネツィアひとくちメモ
 ヴェネツィアは長くビザンティン帝国の支配下にあったが、828年に聖マルコの遺骸を迎えて国の守護聖人となってから独立した。その後は、18世紀まで東方との交易で巨万の富を得た。その勢力の一端をこのサン・マルコ大聖堂で感じることができる。
 聖マルコがヴェネツィアに運ばれた経緯が面白い。当時のヨーロッパでは、著名な守護聖人によって国の格を上げようとする風潮があった。ヴェネツィアも聖人を得ようと東奔西走している時に、聖マルコの遺骸を祀る僧院がイスラム教徒(オスマントルコかな?)に襲われていることを聞きつけた。そこで「ヴェニスの商人」が遺骸を密かに買い取り、運び出す時に遺骸を豚肉(イスラム教徒が忌み嫌う肉)で隠して検閲を逃れたという。
 獅子は聖マルコの象徴なので、まちのあちこちで獅子の像や壁画を見かける。

(2015年10月時点)

2015年12月10日木曜日

イタリア>ヴェネツィア>ドゥカーレ宮殿2(ヴェネツィア・ゴシック建築の至宝)

世界最大の油絵で埋め尽くされた大評議会の間、ティントレットの傑作などがある元老院の間など、外観から想像がつかないくらい豪華・壮大。そして18世紀の面影を残す牢獄。。。
ヴェネツィアでは外せない観光スポット。

(おススメ度★★★、ヴェネツィアとその潟として世界遺産登録)

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見学は2Fから始まる


黄金階段(黄金色の漆喰とフレスコ画で飾られている)


元老院の間

天井のティントレットの絵「海からの贈り物を受けるヴェネツィア」



審議?裁判?をした部屋

武具が展示されている部屋


途中の部屋から見た外の景色(サン・ジョルジョ・マッジョーレ島が見える)

大評議会の間

天井画

 牢獄へ





溜め息橋の上で。サン・ジョルジョ・マッジョーレ島が見える

見学ルートは再び宮殿内へ
評議員の部屋?


巨人の階段から「布告の門」が見える

布告の門から巨人の階段を見る 
 
◆補足情報
 ヴェネツィアの総督は終身制。大評議会が名家から選んだ。有名な総督は2人。
 1人は、第4回十字軍のコンスタンティノープル攻略を指揮した、英雄の誉高きエンリコ・ダンドロ。ホテル・ダニエリを一族の邸宅として建てた人。
 もう1人は、悲劇の総督、マリーノ・ファリエル。当時のヴェネツィアでは総督の権限は制限され、絶対的権力を持つことは大罪だった。しかしこの総督は、商才と政治手腕に長けていたがゆえに絶対君主の座を得ようと反乱を企てた。すぐに露見して斬首刑となり、76歳で亡くなった。
大評議の間の壁面には、歴代総督の肖像画がかかげられているけれど、この総督の肖像画だけ黒い布で覆われているらしい。(私は見逃した。。。)その幕には、「総督ファリエルは裏切り者として処刑された」と記されているとのこと。
 
(2015年10月時点)